ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【日】うちのクラスの体育は怒ったら退場

 

 おはようございます。前にも書いたかもしれませんが、最近座ったまま寝てしまうことがよくあります。22時ごろからの記憶がなくなり、気がつけば夜中の3時です。なんの授業準備もできていません。お風呂にも入っていません。身体はバキバキです。お風呂に入って、準備をして、布団に入り直すにはあまりにも微妙な時間です。だからといって、ここで寝ておかなければ、夕方の職員会議でウトウトする可能性が高まります。こんなときの正しい選択が未だに分かりません。どうすればよいのでしょうか。「いや、はじめから布団に入って寝ろよ」だなんて言わないでくださいね。コミュニケーションにおいては、正論がいつだって最適解だとは限りません。どうも、インクです。

 

うちのクラスの体育は怒ったら退場

 子ども間のトラブルが起こりやすい教科第1位は間違いなく「体育」です。特に、チームに分かれて行うサッカーやバスケやバレーといった類の球技は、トラブルがよく起こります。そんなトラブルの原因は大きくふたつに分けられます。ひとつ目は「ルール違反」、ふたつ目は「チーム内格差」です。逆に言えば、教師が先手を打ってこのふたつさえ抑えておけば、平和な体育ができあがるというわけです。それではひとつずつ考えていきましょう。

 

1.ルール違反

 まず、大前提として、子どもたちはルールを守ろうとするものとします。もし、意図的にルールを破ろうとする子どもがいるのなら、それは「体育」以前の問題になってきますので、今日の記事では「守ろうとする」を前提として話を進めさせてください。

 その上で、トラブルが起こるのはどんなときかと言うと、「ルールを理解しきれていなかった子ども」や「ルールを間違えてしまった子ども」への過剰な反応が起こったときです。わざとルールを違反したわけではないのに、まるで悪者であるかのように攻撃されてしまうのです。そりゃあ当人は「そんなに言わなくてもいいじゃないか!」と思います。そこから揉めごとへと発展していくのです。

 他にも、そもそも違反したのかしていないのかで揉めることもよくあります。「今のライン出てたよ!」「いや、出てなかったよ!」「いや、絶対に出てた!」というやつです。基本的にはいくつかのコートで試合を同時進行するので、各コートに審判を配置することは不可能です。だから、子どもたちは、自分たちで判断しなければならなくなります。これがまた、なかなか難しいんですよね。本気になって、熱くなるほど、このパターンのトラブルは発生するようになります。

 

2.チーム内格差

 これは、おそらくほとんどの人が経験したことのある問題なのではないでしょうか。まさに「熱量の違い」から生まれるトラブルです。「上手なヤツが出しゃばるパターン」「下手なヤツが意固地になるパターン」の2種類があります。両者の熱量の差が大きくなればなるほど、怒りのボルテージは上がっていきます。

taishiowawa.hatenablog.com

 まず、大抵の場合は上手なヤツが出しゃばるところから始まります。調子に乗って自分だけがボールを触ろうと動くのです。そんな気持ちが強いものだから、思い通りにいかなかったら人のせいにしはじめます。「アイツが下手だから、オレが活躍できないんだ」と、こういうわけです。とてもタチが悪いですね。

 当然、まわりの子どもたちは、その子と同じチームであることが嫌になっていきます。いつも自分のことしか考えていない。ミスをしたら責められる。終わったあともずっと機嫌が悪い。するとどうなるかというと、「もういいわ」「勝手にやってくれ」と思い始めるのです。要するに、「やる気を出さない」という抵抗を始めるのです。

 これで熱量格差の完成です。「自分のことばかり考えているアイツとはやりたくない」「やる気がないアイツとはやりたくない」、こうしてトラブルは大きくなっていくのです。こんな「体育」がおもしろいはずがありません。おもしろくもない「体育」が学びになるはずがありません。

 

3.手立て

 はじめに書いたように、このふたつを防止するためには、先手を打つことがとても重要になります。始まってからだと、子どもたちの熱量が高まっていて、半ば強引に抑え込むしかなくなってしまうからです。 

taishiowawa.hatenablog.com

 先ほども貼り付けたこの記事にも書いたとおり、熱量の違いは打ち合わせ不足から発生します。打ち合わせが不足したまま試合を始めてしまうから、トラブルに繋がっていきます。だからこそ、球技が行われている期間中は、頻繁に教室で作戦会議を行います。1回目の作戦会議は教師主導で行います。ざっくりとした内容は以下の通りです。

 君たちは、今回の体育のサッカーで、ワールドカップを目指しているわけではない。今回の体育で勝つために血の滲むような努力を重ねてきたわけでもない。そんな体育で、ぷんすか怒りはじめる人が出てくると絶対におもしろくなくなる。だから、どんな理由であれ怒りはじめた人は退場ね。

 これを、初回の運動場に出る前に伝えます。反論の余地を残していないので、全員が頷いて、運動場へ出発します。もちろん初回ですので、ルールの食い違いや、こういうときはどうしたらいいんだろう?という疑問が多く出てきます。それを逐一、作戦会議で解消していくのです。この形が定着すると「どうせ後で話し合えばいいから、とりあえず今はじゃんけんで決めようか」と考えるようになります。なにせ、その場で怒ってしまうと退場させられてしまいますからね。

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 すると、当然トラブルは減っていきます。トラブルが減ると「体育」はおもしろくなっていきます。おもしろくなっていくと、技能を身につけるためのチャンスが増え、体育的な観点での思考に力を入れるようになっていきます。すべてのねらいはここにあります。退場させることが目的でも、トラブルを減らすことが目的でもありません。体育を通して身につけるべきことに、全力で向かわせるための手立てです。必要のない障壁は、教師が先手を打つことで取り除くことができるのです。むしろ、それこそが教師の仕事だと言うこともできるのではないでしょうか。

 2回目以降の作戦会議では、「おもしろくないことがあった人は、どうすればおもしろくなると思う?」と問いかけます。不満を「文句」ではなく「提案」として吐き出させます。すると「守備ばかりやらされておもしろくなさそうにしていた人がいたから、攻撃と交代する時間を決めればいいと思う」というような意見が出てきます。しかし、大抵その対象になっているような子どもは「下手なヤツ」であることが多いです。「自分が攻撃に参加して、ミスをしたら責められる」と思っています。そして、実際に責められてしまうことも往々にしてあり得ます。しかし、このままでは、一部の人は楽しいかもしれないけれど、その子は楽しくないままだ。と、こういう考えになっていくわけです。

 ちなみにうちのクラスでは「オールどんまい」がキーワードになりました。失敗してもオールどんまい。むしろ他の人の失敗を責めたヤツが責められる。そんな空気ができあがっていきました。これをもし、教師が主導になって「失敗した人にもプラスの声かけができたらいいね」だなんて言っても、効果はほとんどありません。そうするべき必然性を、子どもたちが体験を通して実感していないからです。しかし、子どもたちの思考の流れにこれらを組み込むことができたら「前回の作戦会議を活かして失敗した人にもプラスの声かけをしてみたら、みんなが楽しめるようになった」という因果関係を得られるのです。自分たちで思考して出した結果は、人に言われて出した結果とはわけが違います。こうして「みんながおもしろい体育」ができあがっていくのです。

 

 

 さらにおもしろいことに「みんながおもしろい体育」が成立すると、怪我がなくなります。体育をしていると、足に引っかかって転んだり、振り向き際にぶつかったりと、ある程度仕方のない怪我も起こるのですが、そんな怪我でさえなくなります。全員の熱量のバランスが整うと、怪我の発生件数も自ずと減っていくのです。

 これまた偉そうに語ってしまいましたが、筆者は体育を専門にしているわけではありません。勘の鋭い方はもうお気づきかもしれませんが、なんなら「体育」はただのメタファーでしかありません。ひとつの比喩です。寓話です。本当に「体育」のことが知りたいのなら、きっともっといい方法がたくさんあると思います。ただ、間違いなく言えることは、教師が先手を打つことで防ぐことのできるトラブルがあるということです。あらゆる教科において、子どもの思考の流れに沿った必然性をつくっていけるといいですね。

  

 

 

【土】Beatlesの凄さと戦争の恐ろしさは似ている

 

 おはようございます。たとえ自分が注文したものだったとしても、荷物が届くって嬉しいですよね。「その時間帯は家にいなければならない」だとか「コンビニに出かけた隙に不在連絡票が入っていた」だとか、文句を言われることが多い宅配便ですが、結局はそれらも含めて「荷物を待つ」という行為は幸せなことなのだと思います。

 届くかどうかも分からない荷物を待つのは「かなしい気持ち」かもしれませんが、届くと分かっている荷物を待つのは「しあわせな気持ち」なのです。たとえ、配達員が「かたつむりくん」だったとしてもです。どうも、インクです。

 

Beatlesの凄さと戦争の恐ろしさは似ている

 昨日まで、世界中の誰もが知っていたビートルズ

今日僕以外の誰も知らないー。

というコピーがつけられている映画『イエスタデイ』を先日鑑賞してきました。ビートルズのメンバーのドキュメンタリーではなく、ビートルズの曲を存分に使用したオリジナルストーリーでした。エド・シーランが本人役で出演したことも話題になっていましたね。ビートルズに関する知識の浅深に関わらず、誰にとっても分かりやすい映画だったと思います。

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映画『イエスタデイ』公式サイト

 そんなビートルズですが、映画のコピーにもある通り、世界中の誰もが知っていることが前提になるほど、とんでもないバンドです。シンプルなコード進行にキャッチーなメロディ。ビートルズの曲を一度も聴いたことがないという人は、まったくと言ってもいいほどいないでしょう。

 私たちはそんなビートルズの「凄さ」を知っています。曲を聴いたら分かる「凄さ」ももちろんですが、「ファンが気絶した」「来日の際は厳戒態勢が敷かれた」などのエピソードからもその「凄さ」を知っています。

 しかし、当然「若者」と呼ばれる世代の人々は、「体験」としてビートルズを知りません。なんせ50年前に解散したバンドですからね。 彼らの残した「作品」と語り継がれる「エピソード」からしか、その「凄さ」を判断することができないのです。

 この感覚は「戦争」とよく似ています。戦争も、「体験」としては知りません。子どもの頃から、とにかく「戦争は恐ろしいものなんだ」と教え込まれてきたから、まるで知っているような気になっているだけです。ほんとうの恐ろしさは、やはり実際に体験した人にしか分からないものなのです。

 ビートルズもきっと凄かったのでしょう。「凄かった」ということばでは収まりきらないくらい凄かったのだと思います。ただ、どれだけ熱く語られようとも、若者はビートルズを知りません。どれだけ曲を聴いて、その曲に惹かれようとも、もう知ることはできないのです。

 この映画を観終わったあと、そんなことを思いました。「知識」として知っていることと、「体験」として知っていることは、やはり違います。天と地ほど違います。私たちは、しばしばこの「知っている」を混同させてしまいます。人間は賢いからこそ、簡単に「知ったつもり」になってしまうのです。

 そう考えると、人生において、本当の意味で「知る」ことができるものは案外限られているのかもしれません。今という同じ時代に存在するものしか「体験」として知ることはできませんからね。「人生は移動距離で決まる」だなんてことばを聞いたことがありますが、やはり自らの足で「体験」を集めることが大切なのかもしれません。

 座っているだけでは見逃してしまう、今に散らばる「小さなビートルズ」を可能な限り集めていきたいものです。お金は「体験」に換えていこう。そんなことを思った映画でした。まだ公開している映画館もあるみたいなので、気になった方はぜひ足を運んでみてください。

 

 

  もっとも古いビートルズの記憶は『All You Need Is Love』です。車の中でかかっていたことを今でもはっきりと覚えています。当時は「ビートルズ」なんて知らずに、この曲を聴いていました。やっぱり耳にこびりつくんですよね。特に、歌詞の「All You Need Is Love」の後に続く「テッテテレレー」の部分(こんなので伝わるのか?)がとても好きでした。

 その後、ちゃんと「The Beatles」を認識した上で曲を聴くようになったのは、ロックにハマった中学生のころでした。それでもおそらく「にわか」の域を超えてはいませんが、いろんな音楽を聴くようになったからこそ、改めて「ビートルズって凄いんだな」と思った記憶があります。

 今でも時々聴きたくなることはありますが、昔ほどの熱量をもって音楽に向き合うことはできなくなってしまいました。しかし、考え方によっては、それでも聴き続けている曲は、それだけ自分にとって大切なものだったということなのでしょう。

 先ほど紹介した『All You Need Is Love』に加えて、お気に入りの曲をもう2曲紹介して終わろうと思います。選曲からにわか加減が溢れてしまいますが、何度も言う通り、筆者はにわかです。くれぐれもその点、ご了承ください。

 

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