おはようございます。人類が長年解決できていない問題のひとつに「廊下で知り合いとすれ違うときの目線をどうするのか」というものがあります。
長い廊下ともなれば大問題です。はるか先からこちらに向かって歩いてくる知り合いの姿が、随分まえから目に見えているのです。どのくらいの距離感であいさつをすればよいのでしょう。
そもそもなんと言えばよいのでしょう。今日はじめて会うのならまだしも、2回目ともなれば難問中の難問です。じっと見つめるのもなんだか違うし、目を合わせないのもそれはそれで失礼です。
何も言わずにすれ違うのも気まずいし。もう八方塞がりです。正解を知っている人がいれば教えてください。もしかすると何かしらの賞をもらえるかもしれません。どうも、インクです。
長く付き合う相手は自分で選べばいい
長く付き合う相手は自分で選べばいい
— インク@青年求職家 (@firesign_ink) 2020年6月2日
「大人になったらみんなでいっしょに暮らそうね」と話していた仲良しグループがありました。今では誰とも連絡をとり合っていません。
「卒業しても月1ペースで集まろうな」と約束していた大学時代の仲よしグループがありました。今では誰とも連絡をとり合っていません。
どれだけ仲がよくても、気がつけば人は離れていくのです。仲がよくてこれなのだから、仲がよくなければもはや記憶の彼方です。せいぜい「そんな人もいたなあ」が限界でしょう。どうでもいい人のことなんて誰も覚えちゃいないのです。
そうです。今あなたのまわりにいる人たちのことを言っています。好きか嫌いかなんてまったく関係がありません。あなたにとても親切にしてくれるあの人も、気をつかわずに接することができるあの人も、グチグチつまらないことを言ってくるあの人も、口を開けば嫌味ばかりのあの人も、所詮は全員一時的な付き合いでしかないのです。
できるだけ離れたくないと願う相手も、すこしでもはやく離れたいと願う相手も、時間が経てばどうせあなたの前からいなくなります。何もする必要はありません。どうせいずれはいなくなるのです。
長く付き合っていきたいのなら繋ぎとめる努力をしなければなりません。出会いを選ぶことはできませんが、長く付き合っていく相手を選ぶことはできるのです。もちろん、相手には相手の都合があるわけですから自分の願いが 100% 叶うわけではありません。
ただ、くり返しにはなりますが、何もしなければどうせみんないなくなってしまうのです。それならば、好きな人たちと長い時間を過ごせるように努力しようではありませんか。
こんなことを言うと「不平等だ」とか「人を選ぶな」とか、いろいろと言いはじめる人がいるのですが、ここに関しては純粋にわがままでいいと思っています。だって、自分の人生によい影響を及ぼさない人に時間を割くのはもったいないではありませんか。
そんな人に対して、いちいちイライラしたり、いちいち落ち込んだり。なんども同じことを言って申し訳ありませんが、時間が経てばどうせいなくなるのです。一部を拡大してみれば大きな敵に見える相手も、あなたの人生という旅路ですれ違う通行人Aでしかありません。
一度すれ違ったら、もう二度と出会うことはありません。ほんの一瞬だけ気まずい思いをして、それでおしまいです。そんな気まずさをあとに引きずる必要なんてないのです。
好きな人と、好きなことをして生きていきたい。知らぬ間に、そんな「わがまま」を押し殺しながら生きています。押し殺すことに慣れすぎて、もはやはじめから選択肢にありません。願ってすらいないわけですから、努力の「ど」の字もないのです。
だからこそ、めんどくさい人との付き合いに一生懸命悩むことになります。自分では決められない「出会い」にすべてを懸けて、その先の「つながり」を選ぼうとはしないのです。
自分の人生なわけですから自分で選べばいいのです。好きな人と好きなことをするために、一生懸命がんばればいいのです。長く付き合う相手は自分で決めればいいのです。ほかの人たちなんてどうだっていいのです。
【お知らせ】
いよいよ今晩になりました。1週間が終わる喜びを感じて、寝転がりながら聴いてもらうくらいがちょうどいいかと思います。いつもみたいに真面目な話はしないので、軽い気もちでご参加ください。参加希望はDMにてギリギリまで受け付けております。ぜひ遊びにきてください。