ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】ひとつ前の時代を生きてきた親が子を育てればそりゃあひとつずつズレていく

 

 おはようございます。かつて、国語の授業で「プロデューサー読み」という実践をしたことがあります。班ごとに割り当てられたプロデューサーが、音読の演出をすべて担います。プロデューサーが「ここは小さな声で読んで」と指示を出せば、ほかの子どもはその通りに従わなければなりません。口出しは禁止です。

 ほかの人たちをつかいながら、自分が思う作品世界を演出していくというわけです。3年生の教科書に載っている金子みすゞさんの『わたしと小鳥とすずと』で実践したときは、特におもしろかったです。

 大抵の班は、連ごとに分けて読んだり、声を出す人数を変えたりという工夫をしていたのですが、ひとつだけ変わった読み方をしている班がありました。

 はじめからおわりまで全員が声を出しているのですが、まったくのバラバラなのです。最初はただ下手くそなのかと思いました。ただ、ずっと聞いていると、どうやらわざとズラして読んでいるらしいのです。

 その意図をプロデューサーに聞いてみると、思わぬ答えが返ってきました。「この詩はわたしと小鳥とすずの違いを表しているから、僕たちも違いがわかるようにあえてズラして読んだ」とのことだったのです。

 アッパレですよね。このような想定外の回答を聞けることこそが、学校の先生という仕事のおもしろさだなと思いました。どうも、インクです。

 

ひとつ前の時代を生きてきた親が子を育てればそりゃあひとつずつズレていく

 多かれ少なかれ「誰もが受けてきた」という点において「教育」はとてもおもしろい分野だなと思います。親でなかろうと、学校の先生でなかろうと、専門家でなかろうと、誰だって自分の経験をもとにすれば「教育」について語ることができますからね。

 ただし裏返して見れば、それが「教育」という分野の危うさでもあります。誰もがわりとハッキリとした経験をもっているせいで、それらを基準にしてものごとを捉えようとしてしまうのです。

 さらに厄介なのが、多くの大人は「いま元気に生きている」という事実から、過去に自分が受けてきた教育を「よかったもの」として認識しようとします。そうでなければ、過去の自分を形成したものは一体何だったんだという話になってしまいますからね。

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 このように、美化された「過去の教育観」をもって子育てをしているのが「親」という生き物です。決して批判しているわけではありませんよ。よいわるいではなく、これはただの事実なのです。

 親は、自分が受けてきた教育をもとに、子育てをするしかありません。しかも、自分自身がそれなりにやってこられたのなら、踏襲こそが安牌です。

 そして、そんな子育て観をさらに加速させるのが「ママ友」の存在です。いまの時代に「ママ友」だなんて言ったら怒られるのかもしれませんね。子どもを介して繋がる「保護者のネットワーク」です。

 「どうやらあそこの家の子は塾に通いはじめたらしい」とか「どうやらあそこの家ではドリルをやらせているらしい」とか。「うち」と「よそ」を比較しながら、遅れをとらないようにと親が必死になるのです。

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 そんなこともつゆ知らず、子どもたちは今という時代の最先端を生きています。親が子どものころにはなかったものを、見て、聞いて、触っています。

 ここのギャップにこそ、親の不安が生じます。単純に、子どもたちの生きている世界のことが、よくわからないのです。だからこそ、自分がわかる世界へと子どもを引っ張ってこようとします。塾はよく知っています。スイミングスクールも知っています。

 よく知らないものの中でも、どうやら英会話やプログラミングはこれから必要になるらしいです。これらを習わせておけば「未来のことを見通した子育てをしている親」になることができるかもしれません。

 「子どものため」を装いながら、結局は自分自身の不安を取り除きたいのです。自分の過去とは違うから不安で。「よそ」とは違うから不安で。そんな大きな不安の中で、子育ては進んでいくのです。

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 何度も言いますが、世の中の親たちを批判しているわけではありません。むしろ、尊敬しています。本当にすごいですよ。ひとりの子どもを育てるって。

 ただ、だからこそ、子どもたちが生きている世界のことを、もっと知ってほしいなと思うのです。親が生きてきた世界とはまるっきり違っています。ことばも遊びも人間関係も、なにもかもが違うのです。

 知りもしないのに否定してしまってはなりません。善悪を判断するのも、ちゃんと知ってからにしましょう。過去の教育観との繋がりをみつけるためにも、まずは知らなければならないのです。

 今の価値観から引き剥がして過去の教育観に当てはめるのではなく、今の価値観と過去の教育観のハイブリッドを目指す必要があるのではないでしょうか。

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【今後の予定】

①12月9日(水)こきけんよう Vol.22

①12月18(金)スナックらいざ Vol.8

 

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