ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】失敗したときに「別に私は困らないから自分で考えて」と言われながら育ちました

 

 おはようございます。Amazon で買ったものを友人の家に届けようと思ったら「名前が一致しない」ということで持ち帰られてしまったそうです。住所さえ合っていればよいというわけでもないんですね。

 ほかにも、久しぶりに楽天市場で日本酒を買ったのですが、届け先が実家になっていたなんてこともありました。待てども待てども、楽しみにしていた荷物が届かないというのはなかなかに寂しいものです。

 注文した翌日には届く時代になりましたが、期待しすぎるのもあまりよくないのだろうなと思いました。注文したことなんて忘れているくらいがちょうどよいのかもしれません。はやく実家に日本酒をとりに行かないとなあ。どうも、インクです。

 

失敗したときに「別に私は困らないから自分で考えて」と言われながら育ちました

 かつて『トリビアの泉』というテレビ番組で次のような検証を行っていました。「上空100メートルから人と同じ重さのマネキンをシーソーに落下させたら、もう一方の人は何メートル跳ぶ?」というものです。ちょうど100メートルくらいある橋の上からマネキンを落として実験をしていました。

 想像していただいたらわかるとおり、ピンポイントで落とすことは、まあ難しいんですよね。マネキンがシーソーから外れたところに落ちて、地面に突き刺さっていた映像が今でも記憶に残っています。

 そこで制作陣はひと工夫を加えます。橋の上からシーソーまで、1本のワイヤーを通して、その間にマネキンを挟んだのです。当然マネキンはワイヤー沿いに動くわけですから、100%シーソーの上に落下します。そして、その反対に初めから設置されているマネキンが宙を舞うというわけです。

 普通に落とすだけではうまくいかないから、原因を探って、対策を練って、次へとつなげていく。これ、ものすごくわかりやすい形の「トライ&エラー」なんですよね。しかも、これらの検証は、視聴者を前提とするバラエティショーなわけですから、そんなエラーを笑ってもらえればいいわけです。

 これは憶測でしかありませんが、きっと制作陣も「ただ落とすだけではうまくいかない」ということがわかった上で、いちど落としてみたのでしょう。最終的には成功させなければならないわけですが、そこに至るまでの失敗に価値を与えているというわけです。

 いちどでも観たことがある方ならおわかりのとおり、この番組は「しょうもないことをしているなあ」と何も考えずに楽しむものです。しかし、その検証方法や映し方には、とんでもないこだわりが隠されています。何なら、ものの見方や考え方の基礎があると言っても過言ではないかもしれません。

f:id:taishiowawa:20200810223254j:image

 よく「失敗は失敗ではなくて【うまくいかなかった】というひとつのデータを得られたに過ぎない」という意見を耳にしますが、まったくそのとおりだと思います。あまりにも「成功しなければならない」と思いこみすぎているような気がしてなりません。

 たしかに、先人の知恵を活用して失敗を避けることは、歴史を積み重ねてきた人類の叡智なのかもしれません。ただ、はじめから「これは失敗する」と、わかった気になってしまうことこそがいちばん恐ろしいのではないかと思っています。

 とくに今の学校現場では「失敗が許されない空気」があまりにも濃すぎます。「子どもの人生がかかっている」という妙な使命感が、失敗を悪者へと仕立て上げているのでしょう。誰かが叩いて安全だと確かめ、舗装工事を行い、両脇にフェンスを設置した、そんな橋を渡ることこそが正義だと信じられているのです。

 本当は学校の先生こそ、失敗の価値を子どもたちに教えてやらねばなりません。せっかくの失敗を、一生懸命ぼやかして「気にしなくても大丈夫だよ」と励ましている場合ではないのです。「気にしなくても大丈夫だよ」なんてことを言うせいで、失敗が「気にするもの」になってしまうのです。

 大人の役割は、失敗した子どもに「どうしたらいいと思う?」と問いかけ、次の機会をなるべくはやく用意してやることなのではないでしょうか。子どもたちがゲームにハマる仕組みとおなじです。マリオも荒野行動もフォートナイトも、ゲームは、失敗をすぐに活かすことができるからこそおもしろいのです。

 失敗を、なかったことにするのではなく、励ますでもなく、次に繋がる梯子にしてやらなければなりません。べつに、道に迷っても構わないし、飲みものをぶちまけてもかまいません。誤字・脱字があってもいいし、待ち合わせに遅れてもかまいません。

 そもそもを言ってしまえば、あらゆる失敗を改善しなければならないわけでもありませんからね。できないことは「できるようになるべきこと」と「できなくてもいいこと」に分けられます。全部をやろうとしてしまうからこそ、失敗が悪者になってしまうところもあるのでしょう。

 そういう意味でも、すべては「検証」なのかもしれません。どんな形であれ、ひとつの結果が得られたのなら、成功だろうが失敗だろうがなんだっていいのです。「失敗を恐れるな」なんてことを言ってしまうと「失敗は恐れるもの」になってしまいます。「失敗を引きずるな」と言ってしまうと「失敗は引きずるもの」になってしまいます。

 失敗は常にあなたのそばにいます。それと同時に、はじめからどこにもいやしません。成功だっておなじです。常にあなたのそばにいて、同時に、どこにもいやしないのです。

 きっと「失敗」という名前がよくないのでしょう。失って敗れるわけですからね。もっとこう、かわいらしい名前だったらよかったのかもしれません。1文字だけ変えて「しっぱぴ」なんてどうでしょう。「今日、仕事でしっぱぴしちゃってさ」と言えば場も和むのではないでしょうか。

 ええ、言われなくてもわかっています。このネーミングは失敗ですね。

 

【お知らせ ①:14 日】

 ついに情報解禁です。ツイッター上で教育関係の漫画を公開されている こちゃさん(@cocha51)との公開企画会議が決定しました。ここで何かをやるのではなく「これから何をしましょうか」という話し合いをすべてZOOMで垂れ流します。

 ちなみに こちゃさん とはまだいちども話したことがありません。これからはじまる「何か」の第1歩です。目撃しておいた方がいいかもしれませんよ。リスナーとしての参加希望はツイッターのDMにて受け付けております。いつでもお気軽にどうぞ。

f:id:taishiowawa:20200810223732j:image

 

【お知らせ ②:21日】

 知らぬ間にこちらは第4回になりました。らぱいんざWORLD のお知らせです。今回のゲストは まーくん こと fanta さん(‪@fanta_omeru‬)です。

 例のごとく、これまでにいちども絡んだことがありません。これぞこの企画の醍醐味ですね。ちなみに、グレープよりもオレンジの方が好みです。

 こちらも同じくツイッターのDMにて、聞き手を募集していますので、ぜひ遊びに来てください。f:id:taishiowawa:20200810224131j:image