おはようございます。先日、近くの小学校に健康診断を受けにいってきました。どこでも同じですかね。教員は夏になると必ず受けることになっています。
毎年思うのですが、会場にいらっしゃる看護師さん方が本当にすごいなと思います。採血しても採血しても、途切れることなく人がやってくるわけですからね。看護師の世界ではもはや当たり前なのかもしれませんが「すごい」以外のことばが出てきません。
しかもやってくる人たちは、感謝の気もちがないとまでは言わずとも、半分は義務感でやってきます。あくまでも目的は結果であり、その過程には興味がありません。なんなら、暑いし、針は刺されるし、服は脱がされるし、めんどくさいと思っているくらいです。
そんな中で、一生懸命はたらいてくださっているわけです。今年もありがとうございました。どうかよい夏をお過ごしください。どうも、インクです。
大抵の「よい/わるい」はその人の好き嫌い
大抵の「よい/わるい」はその人の好き嫌い
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年6月20日
どっちも自分が正しいと思ってるよ。
戦争なんてそんなもんだよ。
かの有名なドラえもんさんのことばです。正しさなんて立場によって、ぐるりと180° 変わります。
「正しい」とよく似たことばに「よい」というものがあります。両方とも広い意味合いをもつことばなので、はっきりとは定められないのかもしれませんが、「正しい」は目的にあてられることばで「よい」は手段にあてられることばだと思っています。
「正しい目的に向かって、よい手段を選ぶ」というイメージです。はじめにも述べたように、「正しい」自体が変動するものなので、「よい」も様々な要因で変化していきます。過去のできごとや今おかれている状況、そのときに大事にしているものや捨てきれないプライドなどによって、簡単に変化するのです。
ところが、わたしたちはよく勘違いをしてしまいます。「正しさ」や「よさ」が不変のものだと思い込んでしまうのです。言い換えるなら「正しさ」や「よさ」は、はじめからそこに存在しているものだと信じてしまうというわけです。
もしこれらが本当に不変のものなのだとしたら、はじめに引用したドラえもんさんのことばが間違っていたということになってしまいます。未来からやってきたヒトがこう言っているわけですから、やはり正義は唯一のものではないのでしょう。
そうなると、今度はここに個人の「好み」という要素が加わってきます。人によって「正しさ」や「よさ」が変化するというのなら、それはもはやその人の「好み」とほとんど同義なのではないでしょうか。
きのこの山よりもたけのこの里の方が「正しい」のです。犯人をさがして責め立てることが「好き」なのです。カレーライスは多くの人から「よい」と思われているのです。海軍将校のマントには「好き」と書かれているのです。絶対的好みの名の下に。
そう考えると正義って本当に何なのでしょうね。戦争をしないことが正義だというのなら、どうしてこの世から戦争がなくならないのでしょうね。
やはり「相手も同じように思っているはずだ」という思いが、強要を生み、摩擦を生み、争いを生むのでしょう。相手は違う人間です。あの人も、あの人も、あの人も、全員がちがう人間なのです。
恋人だろうが、夫婦だろうが、親子だろうが、そんなものは関係がありません。そこにいるのは、自分とはちがう人間です。ちがうことを「正しい」と思い、ちがうことを「好き」だと思う人間なのです。
もしかすると、衝突してしまうのは、あなたがもっている正義のせいかもしれません。あなたが平和を強要するせいで、争いが生まれているのかもしれません。そうだとしたら、なんとも皮肉なお話ですね。
【予告】
ここ最近はZOOMをつかって、いろいろな方といっしょに企画をさせてもらっていますが、また新しい方とコラボをすることが決まりました。なかなかおもしおいことになりそうです。また近いうちにお知らせできるかと思いますのでお楽しみに。