ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】だれと働くかを選べないって仕事をする上でかなりのマイナスポイントだと思う

 

 おはようございます。出入口ですれ違うときに、ドアを開けておいてくれる人はすてきだなと思います。前の人につづいてドアを通るときにもおなじことが言えますね。うしろの人も入れるように大きめにドアを開けてくれるアレです。

 きっとこういう気遣いって「人に親切にするぞ!」という思いでやっているのではなく、なんの気なしに習慣としてやっているのでしょう。

 「あなたのためにやってあげているんだよ」という色が見えないからこそいいのでしょう。習慣化されて無意識に行っている親切。果たして自分はできているのでしょうか。どうも、インクです。

 

だれと働くかを選べないって仕事をする上でかなりのマイナスポイントだと思う

 だれと働くか。仕事をする上でかなり重要なポイントだと思っています。その内容がどうであれ、好きな人や尊敬できる人といっしょに仕事をすることができたら、きっと有意義なものになるでしょう。

 一方で、どれだけ望みどおりの仕事内容だったとしても、いっしょに働く人とウマが合わなければ、なかなかにしんどい日々を送ることになるでしょう。

 多くの仕事では「だれと働くか」を労働者の意志で選ぶことはできません。大きく見れば、採用時の面接は「だれと働くか」を選んでいることになるのかもしれませんが、組織が大きくなるほどここで言う「いっしょに働く」の意味合いが変わってきます。

 教員は自治体ごとに試験があるわけですが、自分を採用してくれた面接官とおなじ学校ではたらくことなんてまあありませんからね。自分のことなんて何も知らない学校にポンっと飛び込むことになるのです。

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 モチベーションやパフォーマンスに大きな影響を及ぼすにも関わらず、どうしていっしょに働く人を選ぶことができないのかというと、人気による格差が生まれてしまうからです。

 要するに人望がはっきりと目に見えてしまうということです。好きな人どうしで組むことができたチームのパフォーマンスはたしかに上がるかもしれませんが、余り者どうしで嫌々組まされたチームのパフォーマンスはガクッと下がってしまうのです。

 それでは組織全体を見たときに決していい選択だとは言えません。だからこそ、上の人間がああでもないこうでもないと言いながら人事配当を決定しているというわけです。

 ただ、その仕組みをとる限り、どうしても「その人の得手/不得手」ではなく「厄介者をいかに分散させるか」を第一に考えなければならなくなります。

 キャラクターの濃い人間をおなじチームに組み込んでしまうのはリスクが高いですからね。「だれとだれを離すのか」とか「新人をだれに任せるのか」とか。いろいろと考えなければならないのです。

 「そんな人付き合いも含めて仕事なんだ!」と言われたらそれまでなのですが、やはりできることなら好きな人と仕事をしたいではありませんか。

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 本当に「好きな人と働くこと」を実現させようと思ったら、自分で小さな組織をつくって、自分で好きな人を呼んでくるしかありません。

 それぞれにはそれぞれの人生があります。そう簡単な道でないことは一目瞭然です。お金の問題も出てくるでしょう。場所の問題も出てくるでしょう。

 環境が整っていたとしても、好きな人があなたに着いてきてくれるかどうかはわかりません。そもそもの信用がなければ、人は集まりませんからね。

 結局のところ、まずは自分自身がおもしろい人間になるしかないのでしょう。これをクリアしなければ何もはじまりやしません。

 そう考えると「就職活動」ってすごいですよね。「ここで働かせてください!」に対して「いいよ!」「ダメだよ!」と言うわけですからね。

 本来なら逆です。企業側が好きな人をさがして「どうかウチで働いてもらえませんか?」とお願いするものです。そうならないのはやはり、個人に代わりが効くからなのでしょう。

 別にだれが来ようが、決められた仕事をこなしてくれたらそれでいいのです。その上、就活生は生活がかかっているので「働かせてください」とお願いしてきています。そりゃあパワーバランスも変わってくるというものです。

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 問題点はふたつです。ひとつは、個人としての人間の価値が希薄であること。もうひとつは「人生がかかっている」を深刻に捉えすぎているということです。

 ひとつ目の個人の価値については、はじめにも述べたとおりです。本当におもしろい人間として確立しているのであれば、向こうからオファーがくるでしょう。そうならないのは、表現し切れていないか、熟成していないか、おもしろくないかのどれかです。

 ふたつ目の「人生がかかっている」は、気軽さを奪ってしまいます。人生がかかっているから、合わなくても道を変更することができない。人生がかかっているから、いちど採用すると辞めさせられない。人生がかかっているから、リスクを背負った挑戦をすることができない。

 こうして組織は、大きくなればなるほど無難な道へと進み、我慢を分配することでしか成り立たなくなってしまうのです。それではあまりにも窮屈です。それぞれのパフォーマンスを最大限に引き出すことができません。

  好きな人たちと働くことを夢見て、まずはひとりで積み上げて行こうと思います。いずれ時が来たら、またいっしょにお仕事をしましょう。

taishiowawa.hatenablog.com

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【お知らせ ①:本日】

 週の真ん中の定例会。「こきけんよう」も第3回になりました。次回は8日(水)の20:15スタートです。マイナーチェンジをくり返しながら「気楽さ」と「おもしろさ」を同時に成立させられたらと思っています。40分1本でスパッと終わりますので、折り返しの目印にぜひ遊びに来てください。参加希望はツイッターのDMへ。

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【お知らせ ②】

 Coming soon ......

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