ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【水】自分は気がついているということを必要性がない限り黙っていられるのが大人

 

 おはようございます。昨日からツイッターで えむおーさん(@Mo24555713)と「400字アドリブ文通」という企画をはじめました。ツイッターは140字、ブログは2000字。そんな文章のちょうど真ん中が「400字アドリブ文通」です。

 他者をおいて双方向に動きをつけることで、偶然性を生み出すことがねらいです。自分の意思ではどうすることもできないハンドル操作が、どんな場所へと導いてくれるのかがとても楽しみです。

  本当は打ち合わせの段階で「教員のツイッターの使い方というテーマで始めるのはどうだろう」だとか「100年後の教育というテーマで始めるのはどうだろう」だとか、いろいろと案はあったのですが、ぜんぶ無視してこんなお手紙を送ってみました。えむおーさんからお返事がくるのは今日の18時です。玄関に出て待とうと思います。どうも、インクです。

 

自分は気がついているということを必要性がない限り黙っていられるのが大人

  はじめから何を話すかを決めている人が苦手です。こちらのリアクションに関係なく話を進めようとしてきます。相槌を打とうとすると、かぶせるように話を加速させてくるあの人のことです。きっとあなたのまわりにもひとりやふたりはいるはずです。

 このような人は、単純に主導権を握られたくないのでしょう。頭の中にはつねに「いや、あなたが言おうとしていることはわかるけど」という思いがあるのだと思います。あなたが言おうとしていることはもうわかっている。想定済み。だから黙って聞きなさい。そう思っているのでしょう。

 そんな人と話をしていると「ああ、ここにいるのは自分である必要がないな」と思ってしまいます。なんならもしかすると、人である必要すらないのかもしれません。自分の代わりに赤べこを置いても気がつかないのではないでしょうか。

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 このようなコミュニケーションは、芸人さんがたくさん集まるバラエティ番組にすこし似ているような気がします。バラエティ番組の出演者たちは、いつ自分のトークの順番がまわってきてもいいように、話のタネを懐に忍ばせて集合します。

 しかし、その場には流れというものが存在しており、必ずしも用意してきたことをぶっこめばいいというわけではありません。ときには用意してきたことの形を変えなければならないこともあるでしょう。ときには、用意してきたことをまるまる捨てなければならないこともあるでしょう。

 個人の意思ではどうすることもできないハンドル操作が、一体どんな場所へと導いてくれるのか。それを楽しむのがバラエティ番組であり、コミュニケーションなのではないでしょうか。相手あってのコミュニケーション。イレギュラーあってのコミュニケーションなのです。

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 だからこそ、本当にコミュニケーションが上手な人は相手のリアクションを見越した上で話を進めます。「見越す」というのは、はじめにご紹介した「いや、あなたが言おうとしていることはわかるけど」ではありません。わざと余白をのこして相手にリアクションをとらせるという意味です。

 このコミュニケーションは将棋やオセロとよく似ています。はじめは「自分の手を一生懸命考えるゲーム」に見えるかもしれませんが、その本質はちがいます。これらのゲームの勝敗は「相手の手をいかに制限させるか」にかかっています。「次の手はここに置くしかない」という状況をいかにつくりだせるかということです。

 たとえば、あまりいい例が思いつきませんが「ずっと行きたいと思っているところがあって、そこに行くためにお金を貯めているんだ」と話せば、よほどのことがない限り「どこに行きたいの?」と尋ねたくなりますよね。

 これがもし、相手のリアクションに関係なく自分の言いたいことを言う人だったとしたら「どこに行きたいの?」の「ど」を言ったところで、かぶせるようにして「まあ、〇〇なんだけど」と言ってくることでしょう。一方コミュニケーションが上手な人は、相手の「どこに行きたいの?」を引き出してから「実は〇〇なんだけど」とつづきを話し出すのです。

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 先ほどはバラエティ番組を例にあげましたが、第一線で活躍する芸人さんたちは、みんなこれが上手です。お前はだれなんだという話ですけどね。「しゃべくり007」なんかを観ていると、これがよくわかります。本当にすごいですよ。あの人たちの技術。

 先ほどの説明だと、まるで話す側がコントロールしているかのように書きましたが、当然ながら聞く側の技術も重要になります。話し手の意図を読み取って適切なリアクションを返していかなければなりません。

 ここでいう「適切な」というのは、なにも「相手が意図するとおりに」という意味ではありません。ときには「相手の意図に反して」リアクションをとった方が、コミュニケーションがより深まることもありますからね。

 このように、その場で交わされていることばはあくまでも表面的に露出した部分であり、コミュニケーション全体における氷山の一角でしかありません。その奥には、お互いの思惑があり、選ばれなかったたくさんの道があるのです。

 このような両者のかけあいを描いたものに「セトウツミ」という作品があります。たびたびツイートで宣伝しているのですが、ぜひ観てほしい作品のひとつです。観ていただけたらきっと、今日の記事に書いたことがわかっていただけるかと思います。

セトウツミ

セトウツミ

  • 発売日: 2016/12/02
  • メディア: Prime Video
 

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【お知らせ①】

 たびたびお知らせしているとおり、今週の土曜日22時からZOOMにて「月によい晩の盗み聞き」を開催します。新美南吉さんの『ごんぎつね』について、お酒でも飲みながら一緒に語り合いましょう。

 この回は「話す人」と「聞く人」をはっきりと分けようと思いますので、参加希望をツイッターのDMに送っていただく際には、どちらで参加されるのかをご記載ください。という告知をしていると、やっぱり「聞き手で!」という方が多いです。先に言っておきますが、こんな機会めったにないと思いますよ。せっかくなら話しませんか。

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【お知らせ②】

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