ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【木】一生をかけても消化できない数の作品があるこの時代に新しい作品をつくる価値はなんだ

 

 おはようございます。ずっと思っているのですが「数字」が全国共通でつかわれていることってすごいことだと思いませんか。これだけたくさんの文化があり、これだけたくさんの言語があるのに、数字だけは全世界共通です。もちろん「一、二、三、四、五 ......」という漢数字があったり、「I、II 、III 、IV 、V ......」というローマ数字があったりしますが、「1、2、3、4、5 ......」というアラビア数字はどこの国に行っても通じます。

 「数」という概念は一体どのようにして全国に広まっていったのでしょう。やはり生活に密着している分、利用せざるを得なかったのでしょうか。だとしてももう少しいろいろな種類があってもよさそうなものですよね。表記に限らず、進法も含めた数の歴史。調べてみるとおもしろそうですね。おもしろい本やホームページを知っていたらぜひ教えてください。どうも、インクです。

 

一生をかけても消化できない数の作品があるこの時代に新しい作品をつくる価値はなんだ

 本屋さんや図書館に行ったときにこんなことを思ったことがありませんか。「一生かけても、ここにあるすべての本を読むことはできないな」と。

 本棚の端から1冊ずつ取って、1ページずつめくって読んでいったとしたら、一体どのくらいの時間がかかるのでしょう。寝食を忘れて読んだとしても、きっと最後の棚に辿り着くことすらできないでしょう。

 それにも関わらず本屋さんに行けば毎週のように新刊が並んでいます。1冊や2冊ではありません。何十冊という新刊が毎週のように発行されているのです。

 

 一生かけても読みきれない数の本があるのに。

 

 音楽の世界でも映画の世界でも同じことが言えます。もうすでに十分すぎるほどの数の作品がアーカイブとして残っています。

 本だけでも間に合わないのに、音楽も映画もとなれば、100万回生きなければならないかもしれません。漫画もあります。アニメもあります。落語もあれば、YouTubeもあります。エンタメの歴史がそれほど長くないといえども、コンテンツはもう溢れかえっているのです。

 

 どうして新しい作品をつくるのでしょう。

 

 何度も言うように、一生かけても消化しきれない数のコンテンツがこの世にはすでに存在しています。そんな時代にどうして新しい作品をつくる必要があるのでしょうか。新しいものをつくらなくても事足りているはずなのに。この問いに対して考えられる回答は以下のとおりです。

 

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 ① 作り手の自己満足

 ② 今の時代にしかできないから

 

 このふたつです。それ以外はありえません。しつこいけれど、べつにあなたが新しいものをつくらなくたって、作品はすでにたくさんあるのです。「作り手がつくりたいから勝手につくっている」という ① か、「過去の作品では表現できなかったことを現在なら表現できる」という ② か。ふたつにひとつ。どちらかです。

taishiowawa.hatenablog.com

 このブログだってそうです。自分が読みたいと思ったことを自分ひとりで書いています。そんな作り手の自己満足である自己紹介を、おもしろがってくれるあなたのような方が、こうして読みにきてくださっているわけです。

 また、ここで紹介されている「自己」は今の時代にしか生きていません。インクという人間の自己紹介は、過去にも未来にも存在しえないのです。だからこそ、すでに数々の文章が存在しているこの時代に、こうして新しい文章を書きつづけているのです。

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 こんなことを書いてみましたが、実は自分でも未だにピンときていません。どうして人は新しい作品をつくるのでしょう。共感欲求? 承認欲求? 自己顕示欲? はたまた他の作品に対する競争心? もしかするとどれでもない?

 このような「創作」や「芸術」という分野を言語化しようとすると、どうしても指の間からことばが抜け落ちていくようで、歯がゆい気持ちになってしまいます。だからといって「フィーリング」ということばで片付けてしまうと、それよりも前には進めません。つくづくことばって不完全な道具だなと思います。

 背中が見えたかと思えば、すっと遠ざかっていきます。触れられそうで触れられない。どこまでいっても追いつけない。まるでアキレスと亀です。

 でもきっと、ものをつくるってそういうことなのだろうなとも思います。絶対に触れることはできないとわかっているけれど、憧れに向かって一生懸命手を伸ばす。それが創作活動なのかもしれません。

 人生のうちに何か作品を残さないとなとずっと思っています。それが絵なのか、写真なのか、小説なのか。何なのかはまだ決めていませんが、じっくりと時間をかけて向き合えるものをみつけられたらなと思っています。つくる。つくる。一体なにをつくろうか。

taishiowawa.hatenablog.com

taishiowawa.hatenablog.com

 

 途中にも書きましたが、毎週のように新刊が本屋さんに並んだり、新作の映画が公開されることって、当たり前のようで実はとんでもないことです。本も映画もそう簡単につくれるものではありませんからね。一体どれだけの創作が同時進行しており、一体どれだけの未完成の作品が世の中に眠っているのでしょう。

 そもそも作品にとって完成ってなんでしょう。締め切りがきたときが完成でしょうか。ああ、また新しい疑問が生まれてしまった。この不完全な世の中において「完成」ってなんなのでしょう。