おはようございます。テーブルの上にショートケーキ、モンブラン、ミルクレープ、アップルパイ、ザッハトルテがあります。これらのケーキを5人でひとつずつ分けます。だれがどのケーキを食べますか。
年功序列で決めますか? はやいもの順で決めますか? 誕生日が近い順で決めますか? 五十音順で決めますか? うーん、どれも不平等ですね。そうだ! ジャンケンで決めるというのはどうでしょう! よし、そうしましょう! それではいきますよ? どうも、インクです。
ジャンケンに本気になれる大人でありたい
ジャンケンに本気になれる大人でありたい
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年3月25日
最初は ...... パー!
よっしゃ〜! オレの勝ち〜!
冗談ですよ。冗談。そんな冷ややかな目で見ないでください。そんな目をしながらも、あなただって一度くらいやったことがあるでしょう。今見たのは過去の自分ですよ。反省してください。
有名な話ですが「最初はグー」という掛け声を世に広めたのはわたしです。『6時だョ!全員集合』のコントの中で行ったのがはじまりでした。ちなみに、ジャンケンそのものをつくり出したのもわたしです。思い返してみても、あれは大変危険な冒険でした。
マンモスの骨を丸5日煮込み続けてようやくグーが生まれ、海底2万マイルまで潜ってようやくチョキを発見し、チョモランマの山頂でようやくパーを発掘しました。この冒険がなければ、今でもジャンケンはこの世に存在していなかったことでしょう。
ふだんから何気なくジャンケンをしているかもしれませんが、その起源には命がけの大冒険があったのです。そのことを胸に刻んでジャンケンをしてほしいものです。
冗談ですよ。冗談。そんな冷ややかな目で見ないでください。ケーキの話に戻しましょう。実際のところケーキに限らず、このように「ジャンケンで何かを決める」という場面はふだんの生活でもよくあることだと思います。
そんなときに「わたしは最後でいいですから先に選んでください」と言う人が時々います。いい人ですよね。自分のことは後回しにして、他の人に選ばせてあげる。譲り合いの精神を具現化したような人物です。
すみません。もうひとりのボクが出てきてしまいました。もう、勝手に出てくるんじゃないよ。なにが「いい人ぶっている」だよ。選ぶ順番を譲ってくれているんだから、実際に「いい人」じゃないか。
...... まあ、たしかにね。多少の好みはあれど、別にどのケーキでもいいか。食べたかったケーキがほかの人のもとにわたったとしても、また自分で買えばいいだけだもんね。いい大人なんだから。
たしかに。...... だとしても、 譲ってくれるのなら譲ってくれるで別にいいんじゃないの? すきなケーキを選べるわけだしさ。さすがに譲っておいて後からグチグチ言ってくるなんてこともないでしょう。
ああ、そう言われてみればなんだかわかる気もするなあ。みんな大人だからケーキにこだわりなんてないもんね。その上で「ジャンケンをしよう」という話になっているんだから、流れのままにジャンケンをすればいいのにね。わざわざ「わたしは最後でいいですから」というのは、なんだか逆にマウントをとられている気もするなあ。
ジャンケンがメイン。なるほどなあ。 たしかに全員が本気になっているジャンケンって異様におもしろいもんね。東海オンエアの十字架をかけたジャンケンがおもしろいのはそういうことだもんなあ。
ありがとう、もうひとりのボク。さすがは同じ人間なだけあるね。完全に納得させられたよ。ケーキなんてただのきっかけにすぎないんだね。これからは「選んでいいよ」と言われたら、たとえ何でもよかったとしてもスパッと選ぶようにするよ。そして、ジャンケンをすることになったら、全力で楽しむよ。
...... 。
先日、アメリカからやってきて1年に満たないALTに「日本の学校に来て驚いたことは?」と尋ねました。すると「子どもたちが未だにジャンケンをしていること」と答えられました。ポイントはもちろん「未だに」というところです。アメリカでジャンケンは「昔の遊び」なんだって。ご年配の方しかやらないそうです。アメリカの人たちはどうやってケーキを決めているんでしょうね。