ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】上手に手を抜ける人になりましょう

 

 おはようございます。景色は過ぎ去るからこそいいのであって、わざわざ写真に残す意味がわかりません。よく空の写真を撮る人がいますが、空の写真なんてあとから見返しますか。だいたいの空は同じじゃないですか。だってひと続きなんだもの。

 しかし、カメラにハマっている人が一定数いるということは、間違いなくそこには魅力があるはずなのです。カメラの良さってなんなのでしょうか。

 そんなことを考えていて、最近思ったのは「出先に目的を求めなくてもいい」ということでした。要するに「写真を撮りに行く」が目的になれば、場所はどこでもよくなるということです。これはもしかするとカメラの魅力のひとつなのかもしれません。

 「そんなことをウダウダ言っているくらいなら、とりあえずやってみればいいじゃん」という天の声が聞こえてきたので、今はカメラ欲がメキメキと高まっています。何事も好きになるのなら早い方がいいですからね。そのうちカメラブログへと姿を変える日がやってくるかもしれません。どうも、インクです。

 

 上手に手を抜ける人になりましょう

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 「真面目」はよいことだと思いますか。わるいことだと思いますか。大抵の人は「よいこと」と答えるかもしれませんが、果たして本当にそうでしょうか。

 教室で、真面目な人は損をしていませんでしたか。真面目な人は煙たがられていませんでしたか。真面目な人は面倒臭くなかったですか。そうです、そうです。先生に言われたことは絶対に守るあの子です。「ちょっとくらいいいじゃん」をまったく受け入れてくれないあの子です。すこし喋っただけですぐに注意してくるあの子です。

 「真面目」は、言い換えると「融通がきかない」になります。「柔軟性がない」や「画一的」と言うこともできるでしょう。決められた枠の中にパズルを完成させろと言われたら得意だけれど、白い紙を渡されて自由に絵を描けと言われるのは苦手。そんな印象です。このような一面を表すことばに「生真面目」があります。「生の真面目」でキマジメです。 

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  グーグル先生も言うとおり、やはりあまりよい意味ではなさそうです。例文が「ーすぎて面白くない」ですからね。生真面目はおもしろくないのです。

 つまり真面目には、「よい真面目」と「わるい真面目」があるということです。そして、「わるい真面目」は「生真面目」と呼ばれています。真面目加減には調整が必要だということです。そう考えると「真面目」ってなんだか難しいですね。

 筆者はいつも「真面目さと少しの遊び心を」を意識しながら生活しています。行きすぎて生真面目になってしまわないようにするための遊び心です。「ちょっとくらいいいだろ」という感覚も、ときには大切だと思っています。

 

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 ガラリと話が変わりますが、先日「ハライチのターン」というラジオを聞いていると、ハライチのおふたりがこのような話をしていたので、ご紹介したいと思います。一部抜粋でまとめているので、実際のテンポ感とはちがいますが、内容は大方以下のとおりです。

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 ちなみに岩井さんはピアノ経験者です。なんだか字面だけ見ると、相方の子育てを強く批判しているように見えますが、もちろんそこには信頼関係がありますし、ちゃんと笑いに昇華されていました。

 そんなケアはさておき、肝心なのはその内容です。澤部さんは、言わば「真面目に」練習する娘を見て「息抜きが必要だ」と考えたわけです。自由に弾くことで感性を伸ばしたいという親心だったのでしょう。その一方で、岩井さんは「休憩部分がおもしろいと思わせてしまってはいけない」と反論しました。要は「練習自体をおもしろいと思わせなければならない」ということです。

 この話を聞いて「まさに学校の授業そのものだな」と思いました。学校の先生にもよくいるんですよ。レクリエーションやゲームを通して子どもの気を引こうとする先生。先ほどの話を踏まえると、子どもたちに「休憩の方がおもしろい」と思わせてしまってはならないということになります。学習そのもののおもしろさを実感させてやらなければならないのです。

 言わば「真面目だからこそ得られるおもしろさ」です。「真剣に学ぶからこそ得られるおもしろさ」です。これをどこまで感じさせてやれるかは、大人にかかっています。「生真面目」ではなく「真面目」でいることに価値がおけるかどうかも、すべては大人次第です。

 なんでもかんでも褒めていたら「生真面目」な子どもが育つでしょう。自分は正しいことをしているんだと信じ込んだまま大きくなり、どこかのタイミングで「うまくいかない」と悩むことになってしまいます。だからといって「真面目」の価値に気がつかないまま大きくなってしまうと、それはそれで易きに流される人間ができあがってしまいます。

 当たり前なことを言いますが、子育てにおける大人の役割って本当に大きいですよ。責任重大です。しかし、その前に、大人であるあなた自身はちゃんと「真面目」ですか。「生真面目」ではありませんか。「真面目だからこそ得られるおもしろさ」の価値に気がついていますか。まずは、大人自身が「真面目」をおもしろがらないと、子どもにその価値を伝えることはできないのではないでしょうか。

taishiowawa.hatenablog.com

 

  真面目であることの大切さはこれまでに述べてきたとおりですが、人間つねに全力で生き続けることなんてできません。先ほどは休憩を批判的にご紹介しましたが、もちろん休憩も必要です。ただし、あくまでもサブであることが大切です。メインではありません。「真面目に取り組める」ということは、言い換えれば「上手に休憩ができる」ということでもあります。根詰めてしまうと、人は壊れてしまいます。熱中して取り組めることには、全力で真面目に取り組む。そうでないところでは、上手に手を抜く。このバランス感が非常に重要な気がします。