おはようございます。最近、ディフューザーを買いました。液体が入ったビンに棒を突き刺しておくだけで、部屋がいい匂いになるオシャレなアレです。すみません。間違えました。「匂い」ではなく「香り」です。部屋がいい香りになります。めちゃくちゃいい香りがするんですよ。伝わりますかね、この香り。いや、待てよ。文章で「香り」は伝わらないか。やっぱりこの話はやめにします。
昨日食べたチーズケーキの話にしましょうか。昨日、チーズケーキを食べました。スフレではなくベイクドタイプのチーズケーキです。ただし、そんじゃそこらのベイクドチーズケーキとはわけが違います。めちゃくちゃおいしかったです。伝わりますかね、このおいしさ。いや、待てよ。文章で「味」は伝わらないか。やっぱりこの話もやめにします。あれ?文章で伝えられることって、実は意外と少ないんじゃないか? どうも、インクです。
彼も人なり、我も人なり
彼も人なり、我も人なり
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年2月19日
世の中には「よくある質問」というものが存在します。「趣味はなんですか?」とか「休日は何をしてすごしていますか?」とか。「すきな食べ物はなんですか?」とか「すきな芸能人は誰ですか?」とか。まだ関係の浅い人どうしが、お互いのことを知るためにこれらの質問をよくします。
簡単に答えられる質問ならまだいいのですが、考えなければ答えられない質問も案外たくさんあるものです。あくまでも会話の切り口としての質疑応答ですので、シンキングに時間をかけすぎるわけにもいきません。時間をかけたわりには、答えがありきたりなものなら、きっとその場はすこし気まずくなってしまうでしょう。
だからこそ、ある程度はあらかじめ準備をしておくことも大切なのではないでしょうか。今日はそんな「よくある質問」の中でも、第24位にあたるこの質問について考えていきたいと思います。みなさんもぜひ、心の中で答えてみてください。
どうでしょう。人生で一度や二度は聞かれたことがあるはずです。即答できた人はきっとあらかじめ回答を用意していた人なのでしょう。用意していなければなかなか悩みますよね、この質問。「座右の銘」なんてこの質問くらいでしか耳にすることがありません。
「塵も積もれば山となる」とか「情けは人の為ならず」とか「石の上にも三年」とか、いかにもなことばを答えてもおもしろくありませんもんね。意味もすぐにわかりますし、そのことばを選んだ理由もすぐにわかってしまいます。説明がいりません。だから、それ以上話が広がることもありません。
こうなってしまわないようにするためにも、あらかじめ回答を考えておくことが大切なのです。筆者もいろいろと考えました。ことわざや慣用句から選ぼうかな。小説に出てくることばから選ぼうかな。漫画の登場人物のセリフから選ぼうかな。偉人が残したことばから選ぼうかな。
うんうんと三日三晩悩み続けた結果、なんとかひとつの答えにしぼり切ることができました。これから紹介することばが、要は筆者の「座右の銘」暫定一位のことばです。まあ、もったいぶったところでもうおわかりかと思いますのでさっさととご紹介してしまいましょう。「座右の銘は?」という質問に対する筆者の回答はコチラです。
聞いたことがありますか、このことば。もしかすると、とあるひとりの先生を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。教育業界では「この人のせいで妙な教師像が形成されてしまった」とすら言われている有名なあの先生です。
もともとは中国唐代の文人である 韓愈のことばです。「彼も人、我も人。同じ人なのだから彼にできることは自分にもできるはずだ。」と、こんな文脈でつかわれることの多いことばです。「夢を諦めるな!」に近い意味合いをもっていると言えるでしょう。
「あれ?らしくないな」と思った方は、きっとふだんからブログを読みにきてくださっている方なのでしょう。「夢を諦めるな!」という類のことばはあまり好みではありません。むしろ嫌いなくらいです。それにも関わらず、どうして座右の銘にこのことばを選んだのかというと、実はこのことばにはもうすこし続きがあるのです。
彼も人なり、我も人なり。我何ぞ彼を畏れんや。彼も我も同じ人間なのに、どうして彼をおそれる必要があるのか。
ひとことで言うと「所詮は人間」というわけです。地位が高いあの人も、有名なあの人も、頭がいいあの人も、お金持ちなあの人も、所詮はみんな同じ人間。自分と同じ人間なのだからビクビクする必要なんてない。と、こういうわけです。先ほどの「夢を諦めるな!」とはすこし意味合いが変わってきますね。
この「みんな同じ人間」という感覚は、当たり前のようで、案外抜け落ちてしまいがちな感覚です。学校の先生なんてまさにです。人間であることよりも前に「先生」という顔が先行しがちです。芸能人や警察官にも同じようなことが言えるのではないでしょうか。すこし意味合いが変わりますが、コンビニ店員にも同じことが言えるのかもしれません。みんな同じ人間のはずなのに、職業が前に出がちです。
どうせ同じ人間なのだから、わからないことがあったら遠慮なく聞こう。どうせ同じ人間なのだから、話したかったら遠慮なく話しかけよう。どうせ同じ人間なのだから、遠慮なく堂々と対話しよう。人と会うときは、いつもこんなふうに考えるようにしています。
この話、実は「自信の有無」というところにも繋がっています。「自信がないからできない」というような話をよく耳にしますが、この「彼も人なり、我も人なり」という考え方があれば、自信の有無なんてどうでもよくなります。だって同じ人間なんだもの。そこには自信の有無なんて関係がありません。
要するに「行動に制限をかける要素をどのようにして取り除くのか」という話です。ない自信をつけるのはわりと大変です。時間もかかることでしょう。だからこそ、そことはちがう値を調整してやるのです。それが「彼も人なり、我も人なり」という考え方です。しつこいですが、自身の有無なんて関係がありません。どうせ同じ人間なのだから、堂々としていればいいのです。