ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【土】ぶっ飛んだ意見を否定しない話し合いができたらいいよね

 

 おはようございます。小学生のころに「コケピー」という遊びを自分たちで生み出し、休み時間にずっとやっていたことをつい最近思い出しました。プレイ中によくコケるから「コケピー」です。なんて危険な遊びなのでしょう。ルールはとても簡単です。ふたつのチームにわかれて、ただひたすらにひとつのボールを奪い合います。そして、休み時間が終わるころにボールをもっていたチームの勝ちです。きっとあまりにも楽しそうにやっていたのでしょう。他のクラスの人たちがチームを組んで、勝負を挑んでくるなんてこともありました。今思えば、きっと「コケピー」という名前がよかったのだろうなと思います。次の休み時間コケピーやろうぜ!どうも、インクです。

 

ぶっ飛んだ意見を否定しない話し合いができたらいいよね

 ケンカやケガは、大きな声や大きな動きから生まれると思っています。みんなに聞こえるような大きな声で不必要なことを言ってヘイトを集めてしまったり、大きな動きをしてだれかにぶつかってしまったり。逆に声や動きが小さくなれば、ケンカもケガも起こらないのではないか思っています。

 先日、こんな話を子どもたちにしました。「ケンカをせずにのこりの日をすごしたい」という意見があったからです。すると「じゃあ、声を小さくするところから始めてみよう」という話になりました。小学生にとって「声を小さくする」ってなかなか難しいことだと思います。しかも、メインは休み時間ですからね。授業中とはわけが違います。「さあ、どうなるのだろう」と思いながら、進行を子どもたちに委ねました。ちなみにここで言う「休み時間」とは、運動場には出ない10分休憩のことです。

 まずは案出しです。「班ごとにリーダーを決めて声をかける」だとか「休み時間ごとにできていたかをふり返る」だとか、いろいろな案が出されていました。そんな中で、とある子どもが「休み時間にひとこともしゃべらない」という案を出しました。まわりの子の反応は、読者の皆様が想像されているとおりです。「さすがに厳しすぎる!」だとか「休み時間がおもしろくなくなる!」だとか「それはナシ!」だとか、さまざまな反対意見が飛び交いました。

 ふだんの学級会では、なるべく口をはさまないようにしているのですが、この意見に対しては思わず「いい意見!」とわり込んでしまいました。目的を「声を小さくする」に設定している話し合いにおいて、「ひとこともしゃべらない」は完璧な手段です。声そのものがなければ、大小の問題に悩まされることはありませんからね。とてもいい意見だと思いました。

 

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 もちろん「ひとこともしゃべらない」は極論です。実現することはないでしょう。仮に実現しそうになったとしたら、それこそ止めに入ると思います。しかし、そんな極論を出してくれることで、そのあとにつづく提案の幅はぐんと広がります。要するに「これはさすがに無理かな」と思っていた案でも「さっきの極論ほどではないからとりあえず言ってみよう」と思いやすくなるのです。

 何かを変えることを目的とする話し合いにおいて「ぶっ飛んだ意見」というのはとても大切です。そのためにも「案出しの段階では他者の提案を否定しない」という共通理解が必要になります。案出しの段階で「それはダメ」「あれもダメ」と言い始めると、だれにも否定されないであろう無難な提案ばかりが並ぶことになります。無難な提案から革新的な変化は生まれません。

 今回の一件で「あえて話し合いのはじめに極論を出させる」というのもありかもしれないなと思いました。はじめに極論を出しておけば「あそこまでなら言ってもいいんだ」という幅が生まれます。なによりも、極論を考えること自体がかなりいい訓練になるような気がします。自分の思いや他者の思いを一切排除した上で、目的達成を最優先にしたロジカルな考えの先に生まれるのが「極論」ですからね。

 極論をふくめた幅広い案の中に、あとから感情を組み込んで最適解をみつけていけばいいのです。くり返しになりますが、案出しの段階から感情を組み込んだ反対意見を聞き入れてしまうと、提案の幅はぐんとせまくなってしまいます。ぶっとんだ意見を否定しない話し合いができたらいいものだなと思いました。

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 「日本人は提案が下手くそ」だなんてことをよく言われますが、まさに原因はここにあるのではないかと思ったエピソードでした。話し合いの中には「ものごとを決定に近づけるための意見」と「話し合いそのものをより充実させるための意見」というものが存在します。なにも話し合いに限らず、日常会話にも当てはまることだと思います。

 一見すると「話し合いそのものをより充実させるための意見」は、無駄話に見えることが多いです。しょうもない話だったり、何の役にも立たない話だったり。ときには「今それ関係ないよね?」と思われてしまう話だったり。今回のエピソードにおける「ひとこともしゃべらない」も同様です。実現しないことがはじめからわかっている無駄な意見です。

 しかし、本当に頭のいい人たちは、これらの無駄話の重要性をよく理解しています。だからこそ、あえて自分が悪役を買ってまでして「話し合いそのものをより充実させるための意見」を言っていることがあります。そんな人を見かけるたびに、本当にすごいなあと思わされる次第です。そんな人たちの極論が、頭ごなしに否定されてしまわない話し合いを実現させることができれば、よりおもしろくてより深い提案が生まれるのではないかなと思っています。