ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【金】推敲において「消しゴムで消して書き直す」という作業は相当な障壁

 

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 今すわっているところから一歩も動かずに見える文字を羅列してみました。こうやって並べてみると、やはりアルファベットと数字が多いですね。また、商品に付随した文字が多いこともわかります。見えた文字を並べているだけなのに、生活感が漂っています。これ、他の人がやるとまったくちがう雰囲気になるんだろうな。文字がある世界に生きている方はぜひやってみてください。どうも、インクです。

 

推敲において「消しゴムで消して書き直す」という作業は相当な障壁

  子どもたちが、書くことを嫌いになってしまう一番大きな原因は「消しゴム」にあると思っています。消しゴムと言えば、みなさんご存知のとおり、一度書いた文字をなかったことにしてくれる超便利アイテムです。うっかり字を間違えてしまったとしても、消しゴムがあればもう大丈夫。跡形もなくその間違いを消し去ってくれます。消しゴムさん、超ありがてえ。

 しかし、それは消しゴムの表の顔です。裏の顔は、もっともっと邪悪な雰囲気に満ちています。裏の顔をした消しゴムは、消そうとしても字をうっすら残します。完璧には消してくれません。かなり意地が悪いです。だから、使用者はさらにゴシゴシこすります。これが裏の顔をした消しゴムのねらいです。手をあげてみてください。気がついた頃には手元の紙はぐっちゃぐちゃになっています。ここで気がつけたのならまだラッキーなのかもしれません。そのままこすり続けていたとしたら、きっと紙の命そのものが危なかったでしょう。

 これが消しゴムの本性です。仮に上手に消すことができたとしても、消せば終わりではありません。そうです。書き直さなければなりません。それが、1文字や2文字なら大したことはありませんが、3行や4行ならどうでしょう。さすがに「めんどくさいな」と思いますよね。しかも、その中で「あれ、もともとなんて書いていたんだっけ」となったら最悪です。消した字はもう2度と戻ってはきません。
 また、たったひとつの脱字のために、それ以降の文章をすべて消して、1字ずつずらしていくなんて、地獄のような作業です。ついさっき楽しく書いた文章を、邪悪な消しゴムで消して、汚れた原稿用紙にもう一度書かなければならないわけですからね。「やってらんねえよ!」と思っても何もおかしくはありません。

 そうならないためにも、下書きと清書にわけるというやりかたもありますが、もうこの時点で2回同じ文章を書くことが確定しています。めんどくさいったらありゃしません。清書で脱字をしようものならもうおしまいです。2度と文章を書きたくなくなってしまうことでしょう。

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 このように考えていくと、画面上での文章作成は本当に世紀の大発明です。文の間にカーソルをはさめば文字を書き足すことができますからね。それ以降の文字は勝手にズレていってくれます。もはやこれが当たり前になっていますが、とんでもない革命だったのだと思います。何せあの邪悪な消しゴムをつかわなくていいわけですからね。推敲の効率が段違いに変わったことでしょう。

 現状として、子どもたちは、推敲を嫌います。なぜならこれまでに述べてきたように、書き直さなければならなくなってしまうからです。だから、なるべく自分が書き上げた文章を読み返したくはありません。間違いをみつけてしまったら、すべてを消さなければならなくなってしまうからです。もしくはもう1枚書かなければならなくなります。そうならないためにも、1度書き上げた文章はなるべく変えたくないと思ってしまうのです。子どもたちは何も悪くはありません。まっとうな考え方だと思います。

 こうして子どもたちは、文章作成の醍醐味とも言える推敲から離れていきます。より伝わりやすくするために書き換えることを放棄し、マス目さえ埋まればそこで終わりにしようとします。この時点で、文章と書き手との関係性は切り離されてしまいます。だから、自分が書いた文章をだれかに読んでもらうという緊張感やわくわく感を味わうことがありません。そもそも自分自身が「ひとり目の読者」として書いた文章を楽しむことができていないのです。

 まずは学校の先生が、原稿用紙における文章作成はこのような状況にあるのだということをよくわかっておかなければなりません。当たり前のように1度書いた文章を消させたり、新しい紙に書き直させたりしていますが、その度に子どもたちは書くことを嫌いになっていきます。

 そうなってしまうくらいなら、多少完成形が汚くなってもいいから、マス目なんて気にしない方がいいとは思いませんか。文の間にどんどんことばをはさんでいけばいいのです。不要なことばは削って空白ができたっていいのです。完成形の見栄えにばかりこだわって、もっとも大事なものを落としてしまうのは、まさに本末転倒でしかありません。そもそも、いつまで原稿用紙に書いているんだという話です。はやいうちにキーボード入力をおぼえて、画面上で書くのが一番よい手段な気がします。

taishiowawa.hatenablog.com

 

 随分と消しゴムの悪口を書いてしまいましたが、身を削って私たちの間違いを隠蔽してくれていることを忘れてはいけません。「建」をしんにょうにしてしまったときも、「未」の上の線を長く書いてしまったときも、消しゴムは文句も言わずになかったことにしてくれました。今思い返せば恥ずかしくなるようなあのセリフも、あの子を傷つけてしまった思ってもいないことばも、消しゴムは文句も言わずに消してくれました。辛くて悲しい過去も、消しゴムにかかればちょちょいのちょいです。でも、そんなときにふと気がつくのです。そんな過去も受け入れながら前に進んでいくんだということに。消しゴム、ありがとう。これからはきみの力に甘えずに、自分の足で歩いていくよ。ありがとう。そしてさようなら。どうか、お元気で。