ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】敬意を持った上で先生らしさに中指を

 

 おはようございます。うちのクラスにはマスコットキャラクターがいます。子どもたち自身がクラスの全員に案を募り、投票を行って決めました。名前もついているのですが、身バレを防ぐためにも教えることはできません。

 昨日、そのマスコットキャラクターのイラストを3枚、教室のあちこちに隠してきました。3学期初日の朝は、マスコットキャラクターをみんなで探し出すところからスタートします。おもしろそうでしょ。どうも、インクです。

 

敬意を持った上で先生らしさに中指を

  先生たるもの子どもたちの模範たれ。ときに優しく、ときに厳しく。服は落ち着いた地味な色を選び。動きやすさを重視せよ。男性は髪を短く爽やかに。女性は結んで清潔に。言葉遣いは常に正しく。必ず敬称つけて呼べ。

 私語が聞こえればすかさず注意し。言うこと聞かぬ子、怒鳴るもよし。三角座りが崩れれば、すぐに近づき知らすべし。朝会・集会・学校行事、目を光らせて監視せよ。体育は冬でも上着なし。大人は別だと厚着よし。口答えには魔法のことば。ルールはルールだ仕方ない。ダメなものはダメなんだ。あなたのために言っている。

 授業は必ずめあてから。最後は忘れずふりかえり。ノートはきれいにとりなさい。忘れ物など話にならぬ。モノは大事につかいなさい。あなたのお父さんが汗水垂らして一生懸命働いてくれたお金で...云々かんぬん。友の意見と同じなら「同じです!」と言いなさい。友の意見と違うなら「違います!」と言いなさい。

 休み時間にも気をぬくな。ケガをさせては決してならぬ。ほんの少しの危険あり。すぐさま駆け寄りこう言おう。目に入ったらどうするの!ケガしてからじゃ遅いのよ!そんな厳しいことばかけ。全部あなたのためなのよ。

  子どもが帰れど馬車馬働き。すべては子どものためになる。職務遂行のためになら、注意力すべて捧げます。サービス残業あたりまえ。学校、学年、自分のクラス。教材研究あとまわし。帰れば寝るだけ、また明日。子どもが来る前、門ひらけ。

 

 先生たるもの。かくあるべし。

f:id:taishiowawa:20200107060356p:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:taishiowawa:20200107032628p:plain

 

 

 

 

      念のためにもう3回

 

 

 

 

f:id:taishiowawa:20200107032628p:plain

 

f:id:taishiowawa:20200107032628p:plain

 

f:id:taishiowawa:20200107032628p:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふう。 

 

 やはり、いらすとやさんのキャラクターに喋らせれば多少マイルドになりますね。中指を立てている画像をずっと探していたのですが、さすがにセンシティブかと思いギリギリのところで思いとどまりました。危ない危ない。選ばれたのはいらすとやでした。

 

  まあ、そんな画像選びはさておき、本当に「うるせえ!」ですよね。これぞまさに「先生らしさ」です。1年目はこの「先生らしさ」に大いに苦しみました。先輩の先生が一生懸命教えてくれるんですよ。先生はこうあるべきだよ。先生はこんなときこうするんだよ。心の中では「うるせえ!」と思っていました。なんで主語が「先生」なんだ。本当にそれは「子どもたちのため」になっているのか。なんのためにそれをするんだ。なんのために揃えるんだ。疑問に思うことはたくさんありました。しかし、さすがに1年目から嫌われるわけにもいきませんので「なるほど!そうすればいいんですね!」と、にこにこ頷いておきました。

 

 「分からなければなんでも聞いてね」と言われるけれど、本当に思ったことをなんでも聞くことが、いつもベストだとは限りません。黙っているからこそ成立する平和もあるわけです。本当なら、このような若手の生意気な疑問を徹底的に議論できたらおもしろいのでしょうけれど、残念ながら現場にそんなゆとりはありません。「先生はかくあるべきだ」と言われれば、何も疑わずに飲み込むのがこのムラの掟なのです。郷に行っては郷に従え。When in Rome, do as the Romans do. というやつです。

taishiowawa.hatenablog.com

 

  このような「先生らしさ」という枠に収まる大人たちが、一生懸命「個性を育もう」「多様性を認めよう」などと言っているのです。もはやギャグなのではないかとさえ思います。みんな同じような髪色で、みんな同じような服を着ています。隣のクラスの先生が学級だよりを出してしまったら自分のクラスでも出さなければならなくなる、というなぞのルールに怯えています。宿題の出し方やテストのやり方も揃えます。使う教材や授業の進度まで揃えるところもあるようです。

 

 あれ、もしかすると誰でもいいんじゃないか。このクラスの前に立って授業をする人は自分である必要がないんじゃないか。そんなふうに思うこともありました。人にはそれぞれ得意なこと・不得意なことがあります。その人にしかできないことがあり、その人にしか生み出せない価値があります。まさに「個性」と呼ばれるものです。そんな「個性」をぐっと抑えて、みんなで同じ手段を選ぶ。「自分らしさ」よりも「先生らしさ」を優先する。それこそ本当にロボットです。ロボットが命令に従って、新しいロボットをつくる。ある意味、現代的なのかもしれません。

 

 どうしてこのような「先生らしさ」が蔓延するのかというと、みんな同じだと安心するからです。先生って基本は不安なんですよ。正解がありませんからね。本当にこのやり方でいいのかな。本当にこれで大丈夫なのかな。「子どもたちの人生がかかっている」だなんて大層なことを考えていればなおさらです。迂闊なことはできない。そう思い込んでいます。だからこそ、安牌な方へ安牌な方へと進み、みんなが集まっているところへと吸い寄せられていくのです。要するに、そのやり方が効果的かどうかなんて関係ありません。みんなが揃ってさえいれば、間違っていたとしても知ったこっちゃないのです。「子どもたちのため」だなんて大義名分を掲げながら、自分たちの安心のために「先生らしさ」を追い求めます。こうして先生たちは、疑うことをやめ、何も考えなくなっていくのです。おそろしい話ですね。

 

 と、こんな話をしていると、まるで「先生たち」をバカにしているかのように聞こえるかもしれませんが、決してそんなことはありません。これだけは声を大にして言っておきたいのですが、先生はすごいです。何より、自分自身が「先生」をしているわけですから、先生の仕事の大変さは身に染みてわかっています。自分が先生になってから、もはや「先生」という仕事をしているだけでその人のことを尊敬できるようになりました。だって、これを毎日こなしているんだぜ。もうその時点ですごいです。しかもその上で、家庭に帰れば子育てをしているだなんて、とてもじゃないけど考えられません。本当にすごいなと思います。心からのリスペクトを送ります。

 

 だからこそ、「先生らしさ」を追い求める気持ちはものすごくわかります。ただ反発したいからという理由で、このような記事を書いているわけではありません。「自分らしさ」と「先生らしさ」のバランス。これはもはや個人の選択です。どちらの割合が大きければどうだとか、そういう問題ではありません。だからこそ、これが正解だと言うつもりもありませんし、無理に押し付けるつもりもありません。筆者が選んだ道は今日の記事のタイトルです。

 

敬意を持った上で先生らしさに中指を

 

 その結果が、まさにこの『ツイートの3行目』というブログです。これまでの記事を読んでどう思うかは読者の皆様の自由です。そして、皆様自身がどのような道を選ぶのか。これも当然、皆様の自由です。

 今日の記事を読んで、たったのひとりでもドキッとしてくれていたらいいなと思います。大切なのは、自分の意志で選ぶこと。何も考えずに郷に従っているだけでは、それこそ「子どもたちのため」にはなりません。きっとあなたにしかできないことがあるはずです。そんな価値を子どもたちと一緒に生み出してくれたらなと思います。えらそうなことを言ってすみませんでした。気に入っているので最後にもう一度だけ貼っておきますね。

 

 

f:id:taishiowawa:20200107032628p:plain

 

 

www.youtube.com