おはようございます。今日の夜からバスに乗って大都市東京へ向かいます。2泊3日の小旅行なのですが、冬の荷支度は難しいものですね。どうしても洋服が多くなってしまいます。よほど長い旅ではない限りリュックひとつで動きたいので、荷物は最小限におさえたいところです。下着やインナーは現地で調達することにしましょうか。どうも、インクです。
冗談だと気づいてもらえなかったら困るけれど明確にしてしまうとつまらなくなる
冗談だと気づいてもらえなかったら困るけれど明確にしてしまうとつまらなくなる
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月7日
「名前」ということばの由来は「name」だということを知っていましたか。「m」の後ろに「a」を入れたら「namae」になりますよね。逆に、「slowly」の由来は「そろーり」という日本語です。これは知らなかった方も多いのではないでしょうか。やはり言語というものは、文化交流が行われる度に影響し合うものなのですね。
ええ、そのとおり。
冗談です。
今回は特別にネタばらしをしましたが、基本的に冗談のネタばらしを本人がするのはタブーです。冗談のおもしろさは「気づき」にあるので、本人がネタをばらしてしまうのはナンセンスだと言えるでしょう。
ところが、仮に上の冗談を、読者の皆様が本気にしてしまったらどうでしょう。 筆者はただのホラ吹きになってしまいます。当然のことながら、別に騙すつもりなんてこれっぽっちもありません。「またつまらない冗談を」と嗜めてほしくて言っているだけです。
要するに、冗談というものは気づかれなければ意味がありません。意味がないどころかただのウソになってしまいます。しかし、その反対に露骨すぎるとどうでしょう。それはそれでつまらなくなるはずです。ためしに露骨な冗談を言ってみますね。
昨日、道を歩いていると前からキリンが歩いてきたんですよ。「うわ、キリンだ!」と思って「おはようございます」とあいさつをすると、向こうも「おはようございます」と会釈をしてくれました。ただ、キリンは首が長いものだから、会釈といっても振れ幅が大きいんですよね。そのまま、頭と頭がごつんとぶつかってしまって、目が覚めたら今日でした。
どうですか。つまらないでしょ。ほんのちょっとだけおもしろくなってしまったのは、どうしても溢れ出てしまうユーモアのせいです。悪しからず。とにかく、露骨すぎる冗談はつまらないというわけです。冗談を言うときは、気づかれるか気づかれないかのギリギリを攻めなければなりません。それこそが冗談の醍醐味なのです。
常に考えているので24時間書いていると言えるかもしれません(ドヤ顔) https://t.co/xZ6EYom7cg
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月7日
かが屋とぺこぱとオードリーが好きなフォロワーの「Kくん」から、「いつもどんくらいの時間をかけて記事を書いてるんですか?」という質問をいただいたときの回答です。当然これも冗談です。スカしたクリエイターのものまねです。
この回答を書くときに最後の最後まで悩んだのが、末尾に「(ドヤ顔)」をつけるか否かです。きっと「(ドヤ顔)」がついていない方が、冗談としてはおもしろくなります。ただ、つけないならつけないで「コイツなに調子のってんの?」と思われる危険性を孕みます。
これがもし、実際に会ったことのある、よく知っている相手だったとしたら、間違いなくつけていなかったでしょう。いや、正確に言うなら「自分のことをよく知ってくれている相手なら」と言うべきですね。自分のことをよく知ってくれている相手なら「またしょうもない冗談を言ってるわ」と笑ってくれるという確実性があるからです。
画面越しの相手ではさすがにそこまでを判断しきることはできません。別にKくんが冗談の通じない相手だと言っているわけではありません。むしろ「(ドヤ顔)」をつけなくても、きっと分かってくれていたと思います。それでもやっぱりリスクヘッジは大切です。おもしろさバロメーターを多少下げてしまうことになってでも、確実性をとりに行く方が大切だったというわけです。
毎日「ありがとう」と声をかけ続けたMacBookは長持ちします https://t.co/pVqhkVDRi6
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) 2019年12月13日
このツイートは、職だけでなくMacBookまでをも失った青年失業家こと「田中泰延さん」に、一方的に絡みにいったときのものです。個人的にこの冗談は気に入っています。確実に冗談だと伝わる安心感があるのと同時に、真顔だからこそ一瞬「本気で言っているんじゃないか」と思わせる危うさも兼ね備えています(ほんの少しですけどね)。先ほどは「ギリギリを攻める」と表現しましたが、まさにこの「危うさ」のことです。一歩踏み違えばクソリプになるギリギリを攻める危うさ。「アンバランスさ」や「スリル」とも言えるでしょうか。
やはりコミュニケーションは、このような波があるからこそおもしろくなります。そして、その波こそが人間らしさです。波は冗談以外からも生まれます。コンビニ店員さんからお釣りをもらうときに「ありがとう」と言うだけでも波は生まれますし、飲食店の店員さんに「ごちそうさま」と言うだけでも波は生まれます。近年はチェーン店が増え、接客がマニュアル化されることで、店員さんとのコミュニケーションから生まれる波が小さくなってしまいました。
そんな時代だからこそ「冗談」はがんばらなければならないのかもしれません。今日はずっと目を瞑ってきましたが、「冗談」は受け手の反応もとても大切です。波はひとりでつくるものではなく、送り手と受け手との両方でつくりあげるものです。冗談に冗談を重ねて、より大きな波を一緒につくっていきましょう。乗るしかない。このビッグウェーブに。
https://www.youtube.com/watch?v=rg_07HcbWUw
はじめに「ネタばらしはタブー」だと書きましたが、自分の冗談を自分で解説するだなんてもっとタブーです。タブーというよりかは単純に恥ずかしい。しかし、だからといって人様の冗談を解説するだなんて失礼なこともできません。だからこそ、今日の記事は身を粉にして書きました。3kgくらい痩せたかもしれません。本当に痩せたわけではないですよ。冗談です。まさか本当に3kg痩せたわけがないじゃないですか。