ツイートの3行目

小学校の先生です。ツイートは2行まで。3行目からをここに書いていきます。

【火】2回紙を折るときに1回目を少しズラすあの感覚って大切だと思う

 

 おはようございます。圧倒的に人に会う経験が不足しています。だからこそ、人に会うために動き始めることにしました。そこで初めて気がついたのですが、「会いましょう」と人を誘うのってなんだか少し恥ずかしいものですね。片思いの相手をデートに誘っているような感覚になります。仮に「いいよ」と言ってもらえても、嫌々付き合ってくれているんじゃないかという思いを捨て切ることができません。だから、「会えたら会いましょう」とか「いつかまた」とか言ってしまうんでしょうね。それでは前に進めないので、ここからは遠慮なんて捨てて、どしどし会いに行こうと思います。一緒にお酒を飲んでくれる方、募集中です。どうも、インクです。

 

2回紙を折るときに1回目を少しズラすあの感覚って大切だと思う

  2回紙を折るときに1回目を少しズラすあの感覚ってとても大切だと思います。これだけの説明で一体どこまで伝わっているでしょうか。プリントを小さく折りたたんだり、折り紙を折ったりするときに味わうあの感覚です。2回目のしわ寄せを考慮して1回目を折るのです。すると、最後にはピッタリと紙が重なります。これがもし、1回目にギリギリを攻めてしまっていたとしたら、2回目に折ったときには内側の紙が少しはみ出してしまうことでしょう。これでは美しくありません。

 裁縫において、玉止めをできるだけ見えない位置に隠すのと同じです。小学生の家庭科の作品にはよく見られますが、やはり玉止めが表に出ていては美しくありません。その点で言えば、セロハンテープをくるっと丸めて壁に紙を貼るあの方法とも似ています。ベタ貼りするのではなく、くるっと丸めて貼ることで、表からはテープが見えなくなるのです。

 少し種類は違いますが、自転車に乗るときにペダルを逆回転させて、スタートするのにちょうどいい位置までもってくることも、ズラして紙を折ることとよく似ているような気がします。右足のペダルを上斜め前にもってくるあれです。そうすることでひとこぎ目に力を込めやすくなるのです。

 ギザギザの切れ目が入った包装を開けるときに、つまんでいたパーツと本体パーツが分離してしまわないように繋ぎ止めておくことも、ズラして紙を折ることと似ています。カップラーメンのフタの開け方も、板チョコの銀紙のはがし方も、ぜんぶ少しずつ似ています。

 穴が開きかかっている方が小指側になるように靴下を履くことも。お箸でコーヒーを混ぜることも。お札と一緒に前の買い物のレシートをレジに出してしまうことも。警察とすれ違うときに、何も悪いことをしていなくとも歩き方がぎこちなくなってしまうことも。ぜんぶがぜんぶ同じです。

 

 なんだか後半はただあるあるを並べたようになってしまいましたが、このような日常の中に潜むほんの一瞬の無意識な動きって、実はとても大切なのではないかと思ったのです。子どもたちを見ていると、やはり紙は1回目からピッタリと折ろうとしますし(もしくはそもそもピッタリと合わせようとしない)、包装を開けるときは遠慮なくつまんだパーツを引きちぎってしまいます。それが大人になるにつれてだんだんと、ズラして折ったり分離させずに包装を開けたりすることができるようになります。それは、次の動作への考慮であり、美しさへのこだわりであり、ほんの少しの未来予知です。

 逆に言えば、子どもにとっては、これらを学ぶ経験が必要だということです。大人からことばで教えてもらうのではなく、自分で気付く経験です。「最近の子は」だなんてことばはつかいいたくありませんが、どうもこのような経験が不足しているような気がしてなりません。

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 ごめんなさい。このテーマでどうしても書いてみたかったんです。文字数が少ないのは、この前のように時間がなかったからではありません。むしろ時間がかかりました。自分の中ではすごく大切な感覚だと思ったのですが、それをことばで表すのってとても難しいですね。少しでも伝わっていれば幸いです。なんてことを言いながらも、自分がおもしろく書けたからなんだっていいんですけどね。